お久しぶりの「飲兵衛のラーメンマン」です。
私は、最近は、飲酒後の仕上げラーメンをほとんど食しなくなりました。
ですが、相変わらず月に10杯程度は嗜んでいる状況です。
前回は、「これぞ魚介系だ」・・・・で、平塚の「麺や 八雲」をご紹介しましたが、今回は私の生まれ故郷の札幌のラーメンの話を採りあげます。
札幌と言えば、やはり味噌ラーメンですよね!
でも、道産子の私は、小学校の頃までは味噌ラーメンを知りませんでした。
中学生になって初めて味噌ラーメンを食べた記憶があります。それまでは、いわゆるオーソドックスな「東京ラーメン」を食べていました。
最初に味噌ラーメンを食べた印象は、「みそ汁にラーメンが入っている」といった感じでした。
その後、高校生になって味噌ラーメンにも慣れて、おいしい店を探すようになりました。
店の名前は忘れましたが、その店のスパイシーな味噌味(あじ)の味噌ラーメンの虜になったことが、懐かしく思い出されます。
ですから、上京した今でもスパイシーな味噌味(あじ)の味噌ラーメンを求めている自分がいます。(でも、昨今はマイルド味噌味(あじ)が主流になっていることが残念です。)
そこで、上京する前に食べたことはなかったのですが、今も燦然と語り継がれる札幌味噌ラーメンの老舗店2つを調べて驚きました。(知っていた方はごめんなさい。)
店の名は、「すみれ」と「純連(じゅんれん)」です。
私は上京するまではその名を知りませんでしたが、「すみれ」が横浜のラーメン博物館に出店したので、初めてその味を堪能しました。印象は昔ながらの味噌ラーメンという感じで私的には好印象でした。
では、本題に入りまして2つのラーメン店について驚いたことです。(再度、知っている方はごめんなさい。)
それは、「すみれ」は創業時に「純連」と書いて「すみれ」と呼んでいたことです。
つまり、この2つの店が源は1つの店だったということです。
昭和39年8月に村中明子さんという人が札幌の「中の島」にラーメン屋を開いた。屋号は、「純連」と書いて「すみれ」。おいしい店として巷で話題になりました。
その後、店主の病気により一度の閉店を経て、昭和62年に村中明子さんの店を手伝っていた長男が市内の南区澄川に「純連」を開店。
そして、店名を当時から「じゅんれん」と誤読する人が多く、その読み方が定着していたこともあり、「じゅんれん」としました。
一方、平成元年に和食料理人であった村中明子さんの三男が市内の中の島に「純連」の屋号で開店。そして、店名を「すみれ」としました。
つまり、兄弟がそれぞれの2つの老舗を守っていたということです。
それぞれの経営は完全に独立していて、味は比較的似ているものの事実上、全く別の店となっているそうです。
なお、現在では、長男の店「純連(じゅんれん)」は、「さっぽろ純連」または単に「純連」と表記されることが多く、三男の店「純連(すみれ)」は、数年前から「すみれ」とひらがなで表記するようになったそうです。
如何でしょうか。
皆様も札幌に行かれたら、この2つの「純連」を食べ比べてみてはいかがですか?
(I.M)