お久しぶりの「飲兵衛のラーメンマン」です。
私は、コロナ渦の影響で遠出のラーメン食べ歩きは控えております。(近場では相変わらず食していますが・・・)
今回は、暑い時期によく食べる「つけ麺」について、その歴史を探ってみました。
「つけ麺」と言えば、かの有名な故山岸一雄さんの東池袋の「大勝軒」がその発祥と認識している方が多いと思います。私もその一人です。
しかし、調べましたところ、故坂口正安さんと故山岸一雄さんは、共に阿佐ヶ谷の「栄楽」で修業していましたが、昭和26年に独立して坂口さんが「中野大勝軒」を創業し、山岸さんは坂口さんの元で働いていました。
その後、昭和30年に坂口さんが「代々木上原大勝軒」を開店したため、「中野大勝軒」は山岸さんが店長を任されました。
そして、山岸さんはその年の4月から新メニューとして「特製もりそば(後の「つけそば」、「もりそば」、「つけ麺」)」をメニューに加えました。
この「特製もりそば」は、夏の暑い時期に少しでも手早く食事が済ませられるように、冷たい麺を温かいスープにつけたのがその始まりですが、そのルーツは阿佐ヶ谷の「栄楽」の賄い飯で、湯切りした後に余った麺を集めておいて、後で従業員が食べていたもので、それを改良したものを山岸さんが「中野大勝軒」で売り物にしたのです。
そして、「特製もりそば」の名前の由来は、山岸さんが日本古来の日本蕎麦に敬意を示していたことと、日本蕎麦屋のお品書きにある「もりそば」と混同しないようにとの配慮から命名したものです。
「中野大勝軒」で「特製もりそば」が誕生してから3年後に「代々木上原大勝軒」の坂口さんもメニュー化して名前を「つけそば」としました。
その後、東池袋の「大勝軒」から暖簾分けした子や孫店舗などは、「もりそば」という名前でメニュー化しているところが多くなっているそうです。
なお、「つけ麺」という言葉は、昭和48年頃に「つけ麺大王」が使ったのが最初といわれており、巷ではこの「つけ麺」という名前がある意味、全国的に浸透しているのかもしれません。
このように「特製もりそば」、「つけそば」、「もりそば」、「つけ麺」などと色々な名前で呼ばれていますが、そのルーツはラーメン店の単なる賄い飯にしかすぎなかった食べ物が、今や一つの食文化を形成しています。
現在では、独特のコシのある太麺に肉や魚でダシをとった特製の醤油味や塩味のつけたれにメンマやチャーシュー、なると、ネギ、味付け煮卵などをトッピングして、それぞれの店舗で独自に工夫を凝らした商品が提供されています。
まだまだ残暑が厳しい時期です、いつもラーメンではなく、たまには「つけ麺」で涼しさを味わってみては如何ですか。
(I.M)