私はカラオケが好きだ。趣味であるといってもいい。
もう、1970年代の8トラック式の小型ジュークボックス時代から歌っている。
取り分け歌が上手いわけではないが、何故か、歌のある雰囲気が好きなのかもしれない。
若い頃に、先輩からいやいや歌わされたのが始めで、今や聞き手を意識しないで歌えるようになってしまった・・・。エライ変わりようである。
年齢を重ねても、よく歌う曲のレパートリーはそんなに変わっていない。
特に、どこでも、最初に歌う曲は「〇〇ま〇い」と決めている。
ということは、同じような曲を飽きずに歌い続けてきたわけである。
聞かされる方の身になったらぞっとするが、自分としては、歌っているときや、歌った後には爽快感が残る。完全に自己満足の世界なのである・・・。
そんな私がカラオケのことをちょっと調べてみた。
カラオケのカラは「空」、オケは「オーケストラ」の略で、和製語である。
しかし、今や世界各国で通じる言葉となっている。
カラオケという言葉が普及する前は「生演奏」と表現することが多かったようだ。
1970年頃に8トラック再生機に予め用意された「調」や「テンポ」から選択して再生、歌唱できるテープを添付し、「8Juke(エイトジューク)」と名付けてリース販売された。
これが人気を博し、初期にはコイン式の有料再生装置で、テープ1本当たり4曲、10本セットの曲で、料金は5分で100円の値でスナック等に設置された。
8トラック、コンパクトカセット、レーザーディスク、VHD、ビデオCD、DVDなどを経て、1990年代以降ブロードバンド環境の発達後は、日本では通信カラオケが主流となっている。
また、当初は「歌本」やカードが用いられていたが、レーザーディスク普及後はモニターに歌詞が字幕スーパーの形で表示され、歌うべき部分の色を変えて歌い手をサポートする仕組みが一般化している。
当初、カラオケは、スナックなどの飲食業者の店舗や、ホテルの宴会場などに置かれることが多かった。というのも、もっぱら酒席の余興という位置づけであったからだ。
この時期の利用者は酒の飲める世代、つまり20代(成人)以上で、特に年齢層が高い層が多かった。その理由は、カラオケとして録音されていた曲の多くが演歌だったからである。
1980年代半ばにカラオケのみを専門的に提供する、カラオケボックスという事業形態が誕生した。酒のついでにカラオケを楽しむのではなく、純粋にカラオケで歌うためだけに赴く場所であり、それ以前の概念を根底から覆す画期的な業態だった。
岡山県において、廃車になった貨物列車やトラックのコンテナを改造して設置したのが始まりとされる。1990年代以降は通常の建築部地内にカラオケ専門ルームを設えるタイプが主流である。
ちょっと調べただけでもこんな歴史があり、変遷があったとは驚きである。
皆さんは何処まで知っていましたか?
私は、これからもカラオケにはお世話になると思うが、楽しんで利用し続けたいと考える今日この頃である。
(I.M)