
神奈川にもお台場があることをご存知ですか?
「神奈川お台場」は、万延元年(1860年)、横浜開港に際して海外貿易の拠点のひとつとして、幕命を受けた伊予松山藩により、勝海舟の指導のもと神奈川宿(横浜市神奈川区神奈川一丁目)に建設された歴史的土木遺構です。
建設当時は、東海道神奈川宿から取渡り道を持った海上の砲台でしたが、松山藩から幕府に献納され大政奉還の後、明治幕府の管轄となり、諸外国との儀礼交換の祝砲の発射地として盛んに使われ、開港場に不可欠な施設でした。
江戸末期から明治初期にかけての近代日本の幕開けとして構築された歴史的土木遺構であり、横浜開港場として必要な三施設(灯台、さん橋、砲台)の一 つでしたが、明治以降、周辺の海面の埋立が進むにつれ、「神奈川お台場」も少しずつ周辺が陸地によって包囲され、昭和22年からの河川の埋立てをもって、 内陸に取り込まれていきました。
現在は、石垣の一部が見られるのみで、大半がJR貨物㈱東高島駅、一部は、コットンハーバー地区(山之内再開発地区)、及び横浜市中央卸売市場内の敷地内に埋もれてしまい、一般市民の目に触れることが出来ない状況となっているのが現状です。
近年、本協会及び神奈川区役所(埋蔵文化財センター)の手により、発掘調査等が実施され、お台場本体部の前面部(海側)、及び西取渡り道部の一部存 在が確認され、お台場の全貌が判明してきました。また、横浜開港150周年事業による「象の鼻整備事業」と連携し、既設「神奈川お台場公園」の再整備計画 が進み始めています。
~社団法人 神奈川地域活性化推進協会 会社案内より一部抜粋~
インターネットで検索しますと、「神奈川お台場」について関連記事、関連商品等が、かなりの数ヒットします。また、お台場建設の指導にあたったとさ れる勝海舟といえば、今年特に話題の「坂本竜馬」とその妻「おりょう」とも深いかかわりがあり、こちらについてもさまざまな文献資料等が残されています。
ご興味のある方は、「神奈川お台場」で検索してみてください。そして、地図を片手に是非現地周辺を散歩してください。さらに、ご興味のある方は、TAO税理士法人までご連絡下さい。
(Y.U)
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